第十八回多治見商人物語

美濃焼技術の変遷C(大正・昭和時代)

 

国内最大の生産量を誇る美濃焼について、明治時代に絵付けの分野でその製造を支えた摺絵や銅版転写、石版転写などに続き、大正から昭和にかけては更なる技法が開発されていった。そして消長を繰り返しながら、今日においても各種の方法によって美濃焼を彩り続けているのである。
 ゴム版絵付は、ゴムスタンプを用いて簡易に絵付けするものであり、大正7,8年(1918,19)頃より登場した。すでにこの技法については、明治時代にヨーロッパから国内に伝えられていたものの、曲面の多い器に絵付けするのは困難であり、普及することはなかった。その後、これを解消するために図柄が施されたゴムの部分と、握り手との間に分厚いスポンジを使用することが考えられ(写真)、ようやく実用化にたどり着いたのである。すでに開発されていた銅版転写のような繊細さや、石版転写のような写実性には劣ったものの、製版が安価にできて小ぶりな文様に適し、絵付けの工程も非常に簡素なことから広く普及していくこととなった。下絵付、上絵付ともに使用することができたが、後に記すスクリーン印刷の開発によって衰退することとなった。スタンプのように押すことから、「ポン押し」とも呼ばれていた。
 スクリーン印刷は細かな網目状のスクリーン(ナイロン、テトロンなど)に白く残したい部分を目止めして、絵具を通過させることで図柄として印刷(孔版)するものである。当初、スクリーンに絹布が使用されていたことから、シルクスクリーンとも呼ばれていた。捺染の技術をヒントとして明治38年(1905)にイギリスで考案されたといわれ、陶磁器に限らず様々な分野で使用されている。美濃焼の絵付けへの応用に着目したのは多治見市陶磁器意匠研究所であり、研究の末、昭和37年に実用化にこぎつけた。そして、写真製版やグラデーションの表現、自動印刷機の開発などによって、今日でも美濃焼における上絵付の主要な絵付技法となっている。
昭和50年代初めには下絵パッド印刷が開発された。この技法は、凹版に刷り込んだ呉須をウレタン質の転写体(タコ)に付着させ、それを直接素焼きの器面に押し付けて印刷する方法である。広範囲にわたる印刷には適さないが、弾力のあるパッドを使用しているため曲面への印刷も可能であり、手描き特有の「ダミ」などの表現にも優れている。また、ベルトコンベアシステムによって、自動的に絵付けができるようにもなった。「タコ印刷」とも呼ばれており、陶磁器以外にも様々な分野で応用されている。
 これまで4回にわたって触れてきたとおり、明治時代以降、さまざまな量産のための絵付技法が開発・導入され、ニーズに応じて美濃焼を色とりどりに着飾ってきた。ここでは主に絵付けによる技術の変革をたどってきたが、成形や焼成、さらにはデザインの改良なども並行して行われており、これらの下支えがあって、今日ある美濃焼産地が形成されてきたのである。