第十七回多治見商人物語

美濃焼技術の変遷B(明治時代)

 

(承前)岐阜県立多治見工業高等学校が所蔵している近代の陶磁器資料のなかから、製作年が記されたラベルを伴う作品を通じて美濃焼技術の変遷を追っていきたい。
 8「辰砂徳利」(明治26年のラベルが添付 以下、年号のみ記載)にみられる辰砂とは、酸化銅を呈色剤に用いて還元焼成することにより赤く発色させるもので、中国の北宋時代から作り続けられている。ちょうどこの徳利の製作年と同時期の19世紀末、フランスのエルネスト・シャプレが中国陶磁の影響を受けて辰砂を焼成していた。国内でも東京の竹本隼太が手掛けるなど洋の東西を問わず注目される存在となり、このような流れの中で本製作が試みられたのではないかと考えられる。これまでみてきた絵付技法の進展を示すものとは異なるが、実に興味深い。

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9「赤絵銅版花筏文小皿」(明治28年)は、上絵付に銅版転写を応用したものである。下絵付の銅版転写については前号で記したとおりであり、その後、多治見の加藤小三郎が製版や印刷、転写の方法に工夫を凝らして明治28年(1895)に改めて上絵付による技法として完成させた。絵付部分の脇に「多東舎」と記された小三郎の窯の屋号がみられることから、同氏が手掛けたものであることは明らかであり、製作年と技法の完成時期がビタリと重なっている。優雅な絵付けが施されており、量産のための新しい絵付技法として汎用されることとなった。

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10「釉下彩東下り図徳利」(明治33年)について、釉下彩とは文字通り透明釉の下に多色の絵付けが施されたものであり、この徳利にはピンクや緑、青、黒などの色が使われている。釉下彩は19世紀末から20世紀初頭にかけて世界的な流行がみられ、海外ではデンマークのロイヤル・コペンハーゲンをはじめ、ドイツのマイセンやフランスのセーヴル、スウェーデンのロールストランドなどの作品を飾った。国内でも東京や横浜、美濃、瀬戸、有田の著名な窯では世界と拮抗した状況にあり、美濃では、西浦焼で知られる西浦圓治の釉下彩作品が有名である。このようなグローバルな流れを背景として、この徳利はつくられたといえる。

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11「石版赤絵人物図小皿」(明治34年)は、石版という石灰石の平板を使った平版印刷であり、それまでの銅版による凹版印刷とは全く異なる。緻密な表現に秀でており、写真風の絵付けも可能となった。この技法は、明治34年(1901)に多治見の小栗国次郎が、寝食を忘れるほどの研究の末に完成させたもので、同じ年号が記された小皿には女性の肖像が白黒写真のように浮かび上がっており、初期の状況を示す貴重なものといえる。

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以上のとおり、明治期における美濃焼技術の変遷について、主に絵付け技法によるものを取り上げてきた。引き続き、大正時代以降における流れをみていくこととする。
(次号に続く)