第十四回多治見商人物語

多治見貿易会社の設立

幕末から明治初期の貿易

開国当時の日本人は、外国の所在すら知らない状況下であった。横浜・神戸の居留地に店を構えた外国商館へ、日本の業者が売り込むことにより商いが成り立つもので、外国商人の有利な条件によるものが大半であり商取引は困難であった。その様な状況下であったが、明治20年代になると、一時期西浦商店(濃陶社)に奉公していた春田鉄次郎などはアメリカニューヨークより出張していたA・Aバンタイン社横浜支店長のコルトン氏に愛顧を受け、その基礎を固める事が出来た。
当時の日本陶磁器は、技術も優れていたので重要な輸出品として販売されました。
アメリカに市場を求め会社設立
同28年(1895)日本は、不平等条約を解消し晴れて諸外国と交易が対等になった。同年11月に西浦圓治・西浦道太郎・西浦清七・西浦市兵衛・西浦繁次郎。春田鉄次郎・山田銀次郎・加藤政兵衛・工藤新助らにより多治見貿易合資会社(写真1)を設立し、代表に西浦道太郎・西浦圓治、支配人に春田鉄次郎が就任した。
美濃から直接海外に販売するための支店を開設することを目的とし、支配人春田鉄次郎がアメリカへ視察することとなり関係者が集まり送別会が開かれる、「同31年(1898)9月多治見貿易会社支配人春田氏の陶磁器販路拡張のため渡米するにつき多治見町村田楼に於いて水谷郡長、横井警察署長、坂田町長、西浦圓治、西浦猪三郎、加藤久次郎、加藤助三郎の諸氏五十余名にて送別会が開かれた、同地の陶器商人として海外万里へ販路拡張に渡航する者氏をもって嚆矢となす……」。(註1)
アメリカへ
同31年の秋、春田鉄次郎はアメリカへと船上の人となる、三等船室に移民と雑居してアメリカに着き、太平洋岸から東部都市に進むに至り、はじめて真のアメリカを見た、ボストンから更にニューヨーク・フィラデルフィア・シカゴ、など繁栄を極める国を直視。翌年の春に帰国して報告、支店開設の準備を整え、同32年(1899)秋ボストンに支店を開設。やがて同38年(1905)頃は日露戦争の対米好評による好景気にて順調であった、同42年(1909)にはニューヨークに支店(写真2)を開設した、しかしその後アメリカ不況により販売不振や諸事情があり明治末に会社は閉鎖した。
新たな会社
多治見貿易会社の閉鎖後、春田鉄次郎や西浦一、西浦芳太郎ら関係者は事業を引き継ぎ新たに春田商会として発足、その後太洋商工株式会社(写真3)となりニューヨークなどに店を構えるなど、名古屋でも有力な貿易会社として発展しました。現在も名古屋市東区代官町の名古屋陶磁器センター隣に、春田氏が建設した5階建の太洋商工ビル(写真4)が残されています。

参考資料(註1) 陶器商報
春田鉄次郎小伝 西浦焼(高木典利著)